Dr.MANAの南仏通信〜フランスのエスプリをご一緒に…〜
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エッセイ バックナンバー

新・ワンダーウーマン考 WW84ワンダーウーマンはどこへ行くのか?(2021.1.14)

  • 年の暮れにたまたま見出した空き時間で「ワンダーウーマン1984(WW84)」を観てきました。前回のWWを観たのは2017年の秋です。私はヒーローを演じたガル・ガドットの雄姿にのぼせ上って、声には出さなくても「行け、行け!」と叫び続けて大興奮。観覧後は上質のワインを堪能した後のような、陶酔に身をゆだねていた思い出があります。
    “ヒーロー”は文法を知らなかったのではありません。スペクタクル映画やアクション映画のヒロインは主役ではありません。ヒーローに庇われて、背中の後からこわごわ戦闘シーンを覗いている飾りものの美女です。「きゃっ、怖い」とか黄色い声を挙げ、自ら戦うことはせず、正義よりも強い男が好きなだけのヤンキーガール。これに対してワンダーウーマンは、主役のヒーローとして暴れまわり、悪を懲罰して世に正義を実現します。LGBTQの現代に男性名詞も女性名詞もない、物語に必要なのは主体と客体のみなのです。
    17年作品は欧米で大ヒットし、女性の状況をぐいっと変えました。女性たちによるハリウッド発のセクハラ告発#MeTooは、全米から地球規模に広がり、ジェンダー・フリーの大きな社会運動となって現在に至っています。次回作は19年公開といわれ、楽しみに待っていたのに音沙汰がない。それが急にWW84が現れたものだから驚きました。驚いたのは出現の仕方よりも、その内容だったのかもしれません。

  • さて、『WONDER WOMAN 1984』。1984年は過ぎ去った時間であり、私たち(アラフォー以上の皆様向け)が経験した時間です。フィクションの時間設定は、過去現在未来どこをとっても自由です。わざわざタイトルにまで入れたのですから、84年には意味があるはず、だがその理由がよくわかりません。1984年はどんな年だったか? USではLAのオリンピックとレーガンの大統領再選。そんなところがトピックスで、なんの変哲もない。となると、ジョージ・オーウェルか。
    英国の作家ジョージ・オーウェルの『1984年』。第2次大戦直後の1948年に執筆されたこの小説は、ドイツや日本などのファシズムを倒した連合国の自由を謳歌するものではありません。連合国の国民も戦争勝利のために多大の犠牲を強いられ、「異なる形でのファシズム」の社会形態と言われました。スターリンのソビエト・ロシアともなると、ヒットラー・ドイツと変わることのない過酷な暴力的収奪国家そのものでした。オーウェルは人類の未来を暗澹たるものと捉えていました。小説の題名1984年は、暗黒の未来の啓示として、執筆年の裏返しと言われています。その1984年に、ワンダーウーマンは目覚めた民衆の先頭に立って、圧政を打破する戦いに勝利する物語と空想しました。

    ところが映画の製作者はこれを否定しています。では84年が寓意するものは何か、私は考え込んでしまいました。現在の問題とされているものと、84年が関連するもの――歴史的事実だけでなく、物語記述も含まれるとして。
    今の切実はコロナウィルスの地球規模パンデミックですが、映画製作の編集は撮影が終わって数か月乃至1年ほどの期間がかかるので、コロナを取り上げるのは無理があります。そう考えると、ここ数年、USだけでなく世界中をかき回してきた男がいました。「地球環境の汚染なんかデタラメだ」と言ってパリ協定を破り捨て、ロケットマンと握手して平和が来そうなふりをし、情実と利権で有罪被告を恩赦して司法の権威を失墜させた男。ウマがあったどっかの国の首相とだけは仲がよかったものの、ホラ吹きの騒動師であったformer Presidentのバーバリアンです。
    彼は#MeTooの敵であり、ハリウッド映画人の嫌悪の標的でした。オーウェルの1984年が、できもしない集産社会の幻想ふりまいて、その達成のためと称してガチガチの管理社会に人々を閉じ込めた独裁国家を描いたものとすれば、WW84は彼のような詐欺師の油屋がある時からメシアとなって、人々の欲望を実現させるのです。人々は欲望を手にする代償として、自らがもっとも執着しているものを彼に渡さなければなりません。それで、世の人々は幸せになれるのでしょうか?

    今回のWW84には首を傾げることがほかにもあります。
    ガル・ガドットの演じるダイアナは、強盗団と闘って逮捕に協力しますが、市民の安全を守るのは警察の役目ではありませんか。なんのためにそんなことをするのかわかりません。ヒマだからボランティア活動をしているのだったら、世界平和の理想はどうしたのでしょう?
    第1次大戦で散華したスティーヴが転生して現れます。あるいは登場人物たちは、それぞれの内なる部分に善悪を併せ持っています。これって東洋のBuddhistのもつ世界観ですよね。古代ユダヤ教を源とするユダヤ教・キリスト教・イスラム教の一神教では、邪(よこしま)なサタンを駆逐して神の千年王国をつくる聖戦が賛美されます。邪悪なるものは外にいて人を惑わそうと襲ってくるはず、だからこそ、ハリウッド映画は敵国人や悪漢どもを容赦なく無慈悲に大量殺戮してきたのではありませんか。
    不思議なことに、WW84では善人も悪人もありません。誰一人死なず、誰も罰されることがないのです。これは仏陀の五戒(不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒)が浸透してきた結果でしょうか。まさか?

    いい場面もたくさんありました。冒頭のダイアナ幼い頃の、美しい競技会のシーンは素晴らしかったと思います。天性の能力だけではワンダーウーマンになれない。正義はFairでなくてはならないし、思いやりでなくてはならないのです。天稟と躾というか、Nature and Nurture(生まれと育ち)と自らの努力によってこそのWONDER WOMANなのですね。
    第3作が待ち遠しい。ガル・ガドットの次回作は『クレオパトラ』ですって、これも楽しみです。