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☆アウシュヴィッツ強制収容所訪問@その3“第2収容所 ビルケナウ”(2012.12.26)
140ヘクタールもの土地は想像以上に広大でした。敷地の端が見えません。かのアンネ・フランクは、2ヶ月間、ここに収容されました。15歳の時です。
線路の先に見えるのが、“死の門”として有名な、第2収容所への入り口。引き込み線がこの門をくぐったら、戻ることのできない絶望の地です。映画『シンドラーのリスト』でもロケに使われました。
今では展示用の建物以外の棟はすべて解体され、レンガの暖炉の跡しか残っていません。まるで墓標のようでした。
ヨーロッパ中から集められた収容者達は、この貨物用の車両に詰め込まれて運ばれてきました。この大きさの中に、なんと70人以上が乗っていたといわれています。板のわずかな隙間から漏れ入る光を、彼らはどう感じていたのでしょうか──。
展示のために残された収容所の建物。
暖炉があっても無きが如し。レンガ造りではありますが、いたるところ隙間だらけです。冬はマイナス20度にもなるこの土地ですから、驚くほど寒かったに違いありません。木組みの棚みたいなものがベッドです。
第2クレマトリウム跡。ガス室、焼却炉として使われましたが、証拠隠滅のためSSによって爆破されました。そのままの状態で保存されています。
こちらは木造バラック建ての収容所。
このひとつのベットに6〜9人が寝かされていたのだとか。あまりに狭くて、収容者たちは横向きの直立体勢で眠ったといわれています。
ユダヤ人のグループとすれ違いました。彼らにとって、ここは巡礼の地。他の見学者とは想いは異なるのでしょう。
今回のアウシュヴィッツ訪問では、ポーランドの国家公認である唯一の日本人ガイド、中谷剛さんに案内をお願いしました。ドイツと同盟を結んでいた日本人の観点から、大変わかりやすく、極めてニュートラルな解説をしていただきました。これからアウシュヴィッツを訪ねようとお考えの方は、まず中谷さんの御著書である『アウシュヴィッツ博物館案内』である程度の予習をしておくといいと思います。もちろん私もそうさせていただきました。
中谷さんによると、東日本大震災の被災地で、強制収容所を生き残った精神心理学者の体験記であり世界的ロングセラーでもある『夜と霧』(E.V.フランクル著)が、よく読まれているとのこと。
──そうだった! と、自宅へ帰ってから本棚の奥から引っ張り出して、久しぶりに再読しました。
何度涙腺がゆるんだことでしょう。
涙したのは不条理な運命に同情したからではなく、そういう極限の状態でも、時に人間は希望を捨てず尊厳をもって生きて抜いていくことができる──という、一種の感動からでした。今生、一度限りの“与えられた人生”を生き抜くためのヒントとでもいうべき、珠玉の言葉──言霊──で溢れていたのです。
最後に世界遺産の美しい古都クラクフの街にある、ローマ・カトリックの“マリア教会”にいらした“マグダラのマリア”のお姿を──。
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