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☆アウシュヴィッツ強制収容所訪問@その2“第1収容所”(2012.12.26)
世界で最も有名な絶滅収容所──御案内していきましょう。
レンガ造りの収容所は、同時のドイツの建築技術のレベルの高さを物語っています。建設作業は強制労働の中でも大変過酷なものでした。
世界各国から学生と思しき若い人が、多数訪れておりました。
ガス室で使用されていたチクロンBは、もともと殺虫剤で使われていたシアン系劇薬です。
没収された大量の食器類です。
収容者たちが履いていた、何千何万もの靴。このあたりから、直視するのがもう辛いです。女性の髪や義足などもありましたが、とてもシャッターは押せませんでした。
収容者たちが手持ちの財産を詰めて持ってきたカバン。後で返すからと名前を書かせ、束の間の安心を与えたのだそうです。
廊下に陳列されている犠牲者たちの写真。ただしこの多くは、初期に収容されたポーランドの政治犯として扱われた人たちのものです。
収容者が収容者を監督する(密告し合う、監視し合う)システムをうまく作動させ、ドイツ人SS(親衛隊)は基本的には管理のみで、虐殺にともなう様々な作業においても自らの手を汚すことをしない仕組みができていたそうです。現場を見ていなければ罪悪感も芽生えにくい、という巧妙な心理効果を狙ったものでした。
収容者の1日分の食事だそうです。こんな粗末なものしか食べることができず、文字どおり丸1日、強制労働を強いられたのです。
ここは「死の壁」。2000人とも3000人ともいわれる、ドイツ人を中心とする虐殺に反対した勇敢な抵抗勢力が銃殺された場所です。今でも献花が絶えません。
高圧電流の流れていた有刺鉄線が張り巡らされていました。当然、監視兵もたくさんいたはずです。脱走なんてできるはずもありません。
第1クレマトリウムのガス室です。
天井の穴は再現されたものだそうですが、この穴からチクロンBを投げ落とし、一遍に数百人単位の収容者を死に至らしめたのです。この場所でのガイドさんが発した言葉が忘れられません。「人間はたくましいものです。こうやってこの場でもシャッターを押すことができるのです(非難しているわけではなく)。もしここが家族の誰かが殺された場所だとしたら、やはり写真を撮れるものだろうか? と想像してみてください。そして人間というのは、そういうものだ、と自覚してください」。
死体焼却炉。ガス室で生命を絶たれた収容者達は、ここで次々と焼かれました。その作業に従事したのも、同じ収容者たちなのです。
厨房棟です。
次回はここから3キロほど離れている、第2収容所へ御案内いたします。
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