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☆アウシュヴィッツ強制収容所訪問@その1“所感”(2012.12.10)
“B”の文字が逆さまになっている、有名な“労働は自由への道”のゲート。
アウシュヴィッツ。ホロコースト、巨大な大量虐殺施設の現場。
そこはうわべだけの理想主義や偽善的平和主義の安っぽい言葉
──それらを拒絶する、厳かで静閑とした空気で満ち満ちていた。
有機物の塊と化した大量の屍を吸い取った土地であるのに、
それ自体はすでに浄化されている。
おどろおどろしさも薄気味の悪さも感じられず、
むろん霊の気配も死の匂いもしなかった。
何よりユダヤ人にとってアウシュヴィッツは未来永劫忘れがたき墓標であり、
彼らは一種巡礼の気持ちで訪れているのである。
ここを訪れる予定があることを話すと、皆、私に問うた。
「なぜそんな忌まわしい場所に行くのか?」
「そこだけはやめたほうがいいのではないか?」
──いいえ。私はいつかこの地に来たいと思っていたのです。
私は“痛み”や“哀しみ”を体感したかった。
それも圧倒的なリアリティを目に焼き付けて、
何より人間の業を再認識し、
心の底からただただ悲しみに浸りたかった。
あるいは“心”を傷つけるために。
なぜなら自分──いや、人というのが、
“無関心”な生き物であること知っているから。
現在起きている世界中の数々の痛ましい紛争も天災も、
どこか覚めた目で視ていられる。
日常のささいな悩みごとの方が、自分の人生にとって大きいからだ。
けれど、無関心でいられるということは、
いつかまた同じ過ちを犯す可能性があるということでもある。
ナチスのしたことを狂気の沙汰ということは簡単だが、
私たち人間は誰でも、一定の条件下でいくらでも残虐になり得る。
それは今までの歴史が証明している。
そして私たちが“歴史”として認識しているそれも、
勝者が語る勝者のための歴史であって、プロバガンダに彩られる。
本当のことは何も分かっていないのかも知れない。
危険因子は、誰にでもある日常に潜む小さな小さな心の闇。
差別感であったり、偏見であったり、
または嫉妬心や嫌悪感、あるいはコンプレックス。
対立や紛争、暴力による支配──人間がするものである以上、
危険な小さな芽は常に私たちすべての心の中にあるのだ。
直接手を汚さなくとも、時により罪深い傍観者も同じことである。
第三帝国、ナチスだけが悪いともいえない。
背景として、当時ヨーロッパの国々がナチスに協力していたのも事実なのだ。
フランスでは7万人弱のユダヤ人が強制連行されたという。
虐殺された多くのユダヤ人やロマ人は、
それこそヨーロッパ各国から運ばれてきたのだ。
当時ドイツと同盟を組んでいた日本にとっても、
アウシュヴィッツで起こったことは、まったく無関係だとはいえない。
私が訪れたのは、落ち葉がはらはら舞う美しい秋のある日。
老若男女、世界中から多くの見学者で溢れかえっていた。
ドイツ語、フランス語、英語、ポーランド語──。
実に様々な国の言語が飛び交う。
ガイドの話に涙するもの、食い入るように写真や展示物を見つめるもの、
お互い抱き合って慟哭しているもの……。
その時に、ふと私は思った。
そういう“あい憐れむ情”“共感”がある限り、世界は救われる。
何より、紛れもないたったひとつの人生の終焉を
望まぬ地で迎えてしまった大勢の民にとって、
ここに世界中のたくさんの人々が訪れること自体が弔いになるのではないか。
我々だって世界の人々にヒロシマやナガサキを知ってほしい、
と思うではないか。同じことである。
特に大学生など若い人に、ここを訪れてもらいたいと思う。
戦争を知らぬ、未来を構築していく人達だからこそ。
痛ましく忌まわしい歴史に目を背けることなく、実際に見て感じて欲しい。
それは60年前に終わった“過去”ではなく、
規模の大小はあれども現在進行形で、世界各地で続いているのだ。
訪問者は年間140万人にものぼるという。その中で日本人は1万人程。
侵略の歴史から隔絶されてきた幸せな島国の日本だからこそ、
想像力を駆使して感じとって欲しい。そう思った。
何より世界情勢は不穏である。一瞬即発で同じ状況に陥らぬとも限らない。
現に今、何十年に一度の世界的大不況で、解決の糸口も見えない。
ユーロも相変わらず存続の危機である。
東の方では領土問題の小競り合いが続いている。
日本にとっても、もはや対岸の火事とはいえない。
ここでは“人生”についても考えさせられた。
収容者たちの顔写真が、“個”として訴えかけてくる。
名前を剥奪され、番号で呼ばれた人々の、たった一度のかけがえのない人生。
何気ない日常のありがたさが身に沁みて、目頭が熱くなる。
恵まれているのに不平不満を言っている自分が恥ずかしくなる。
答えの出ない人生の意味にも触れる、深遠な数々の問い。
まさに哲学的思考の臨場でもあった。
望んだ通りに“心”に傷がついた。
傷口は少し盛り上がり、生涯消えない跡となって、
これからいろんな場面でその痛みを思い出すであろう。
アウシュヴィッツにきて、本当によかった。
過去最大級の悲愴な歴史の場であるとともに、
ここは平和な未来へとつながるモニュメントなのだ。
私は信じている。
ここに人類共存へのヒントがあると。
“THE ONE WHO DOES NOT REMEMBER HISTORY IS BOUND TO LIVE THROUGH IT AGAIN ”
by GEORGE SANTAYANA
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