Dr.MANAの南仏通信〜フランスのエスプリをご一緒に…〜
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ヴィシー近郊☆古城ホテルの一夜(2008.06.07)


ある年の早春の風が気持ちよい季節に、ヴィシーというフランス有数の温泉地に取材で行ってまいりました。パリからフレンチ新幹線 TGV で3時間。そうなると日帰りはちょっと大変です。

いままでの私なら迷わず飛びつくはずだったタラソ施設完備の優雅なホテル宿泊案を退け、スペシャルオーダーしたのは「古城ホテル──それもとびっきりムーディで、しかも中世の騎士のお化けつきなんかだと最高だわ」。実はここのところ、古城ホテルや修道院跡ホテルに、ちょっとはまってしまっている Dr.MANA なのです。

結局、温泉地から車で30分ほどの小さな村にある、テンプル騎士団ゆかりの古城ホテル、シャトー・ド・ビュッセhttp://www.busset.com/に決定。

1280年にテンプル騎士団の団長だったルノー・ド・ヴィシーによって、テンプル騎士団の城塞として築かれたことが物語のはじまり。その後は領主が変わるたびに、修復、改築、増築を繰り返し、複雑な構造になりました。中ではブルボン家の所有だった期間が一番長く5世紀も続き、アンリ4世もここに滞在したといいます。

滞在中、いわく因縁つきの昼なお仄暗い城内探検をし、さらに夜中には天蓋つきのベットの後方で……妖しの歌声や気配を感じるという、貴重な経験までできましたわ。


では、みなさまご一緒にまいりましょ♪


1926年に作られたフランス様式庭園から城を望む。この城にはフランス様式の庭園とイタリア様式の庭園のふたつがあります。各所にある石像はそれこそ苔むしていて、美しくも独特の凄みがありました。


庭園の奥、敷地の隅の方ににひっそりとたたずむ廃屋。昔は従者か庭師の家として使われていたのでしょうか。中はまっくらで、今ではねずみが番をしています。


中世では、兵士達の警護の間として使われていた部屋の前の廊下。その部屋は16世紀以降はお台所として改装され、今も使用されてます。右奥が伯爵夫人の居住空間。


先ほどの廊下を外から見たところ。手前は年代物の井戸です。灯りの点っているところが、客室へ向かう通路への入口となります。


部屋はそれぞれに色が統一されています。全般に広めで、室内には少女の古い肖像画などがあったりして、これがかなり怖い。
この城を最も長く所有したブルボン=ビュッセ家にゆかりのあるアンリ4世が滞在した部屋もあり、そこにも宿泊することもできます。


その名も『監獄の塔』と呼ばれる、昔は監獄として使われていた塔にあるひとつの扉を開けたところ。
ある時代の城主が錬金術師を雇い、ここで何か妖しげなことをさせていたのだとか。ちなみに手前は本物の石棺で、その昔、城主の赤ちゃんが亡くなったときに埋葬に使われたものだといいます。


村に2軒しかないレストランのひとつ、「L'Auberge de la Vielle-Cure」のマダム。創作フレンチ系で、目にも舌にも美味でしたわ。


部屋から眺めた静かな村の夜。誰も歩いていません。ここはどこかに何かを訪ねるための公共の交通機関すら存在しない、とてもとても小さな静かな村。フランス革命の頃の城主は村人達に対してもフェアに接した人で、そのため革命のときに捕らえられることもなければ、城が打ち壊されることもなかったといいます。そうした歴史があるせいか、ビュッセ城は今でも村の人達に愛されているのです。


遠くピュイ・ド・ドーム山が見えるという最上階から見た風景。


当時、シャトー・ホテルのスタッフとして何から何までお世話してくださった Naoko さん。
本当にどうもありがとうございました。