マラケシュ憧憬(2008.03.27)
マラケシュ──ベルベル語で《神の国》という意味だそうだ。
私は今まで、いくつの聖地に行ったことだろう。
旧市街のメディアの邸宅型ホテル、リアドに泊まることにした。
一歩進むごとに、人や車やロバの荷台に追突されそうになる。
なめし革とアースカラーの香辛料、肉食の体臭、アンモニアとスカトール……。形容し難い強烈な香りの粒子が砂埃とまぜこぜに、ムンと鼻腔から体内に侵入してくる。
その洗礼を受けた瞬間から、身体が微妙にこの癖の強い空気に馴染んでくる。
喧噪にとり込まれ、混沌──カオス──に侵蝕されていく精神。
砂漠の茶色に映える、紺碧の空。
なつめやしにオリーブ。
南国のフルーツの馥郁とした香り。
夜更けにスークを抜けて《死人の集会所》と呼ばれたかつての公開死刑場、ジャマ・エル・フナ広場に行く。
意思をもっているかのように、融合されもくもくと立ちのぼる屋台の白い煙。
ここはヤバイ!!
音、音、音、音、──異国の調べ。
煙の中に浮かんでは消える、幻というには逸脱しているパワー。
円陣になって踊る大道芸人の輩たち、博打、入れ墨師、蛇遣い、占い師……。
すべてが怪しく魅惑的でエキサイティング。
お澄ましした大都市では徹底触れることのない、街そのものの命の躍動に乾杯をしたくなる。
モロッコ風サラダ。クスクス、タジン。口直しにパティオで頂くミントティ。あまあまの砂漠のお菓子。
けれど、いくつかの種類は和菓子とリンクする。
遥かシルクロードを憶う。
人、モノ、音、臭い、熱気、連日のお祭り騒ぎ。
経路のようなスークそのもの。
錯綜する閉鎖空間から突然抜け出したくなって、プチエスケイプを思い立つ。
雄大なアトラス山系の山肌にへばりつく、カスバの村々。
カーヴを越えるごとにその表情を変える、ダイナミックな風景。
マラケシュとワルサザード間の山越えルートを、あらたなパワースポットに勝手に認定!
そして最終目的地は、圧倒的な静寂の世界、サハラ砂漠のはじまり。
☆
カスバ街道の帰り道。
オンボロ車の故障で足止めのアクシデント。
直すのにしばらくかかりそうだ、と。
「困っている時はお互い様さ」
通りがかった心優しき村人に招待され、居間で頂くミントティ&ミルクコーヒー。
ちゃぶ台の上に並ぶ甘く暖かい異国の手作りお菓子。
身体も心もほかほかになる。
家族全員紹介されるも、男の大半はモハメッドという名。
なんだろう……日本の太郎さんみたいなものかしら?
女たちもいそいそと奥から、けれどぞろぞろ現れる。
ちょっとはにかんだ笑顔が印象的。
「君たちがコドモと女性だからでてきたのさ」
モハメッドがいう。
「お祈りの時間だ。ぼくたちは敬虔なムスリムだからちょっといってくるよ。チーズと手作りパンでも召し上がれ」
別のモハメッドがいう。
小一時間程たった頃だろうか。
「残念だけど!? 車が直っちゃったようだよ!」
さらに別のモハメッドが、茶目っ気たっぷりに呼びにきた。
夜更けのカスバ街道。
澄んだ空気の中、降るような幾千もの星空の輝きに息をのむ。
あぁ、これが砂漠の醍醐味だったわ。
そしてさっきの出来事。
私は間違いなく神の国にきたんだと知る。
とびきり嬉しくなった一瞬。
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