Dr.MANAの南仏通信〜フランスのエスプリをご一緒に…〜
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ワンダーウーマン考 その2―“風土”の面からアナライズした、日米文化比較(2018.1.19)



























いかにして戦うか、戦い方を語る前に環境要因をもう少し考えたいと思います。前回は社会環境の違いでしたが、自然環境をも捉え返さなければいけないのではないでしょうか。
自然環境というより風土といったほうがいいのかもしれません。環境と風土の違いを辞書に求めれば――「環境」:@めぐり囲む区域。A四囲の外界。周囲の事物。特に、人間または生物をとりまき、それと相互作用を及ぼし合うものとして見た外界。自然的環境と社会的環境とがある。「風土」:その土地固有の気候・地味など、自然条件。土地柄。特に、住民の気質や文化に及ぼす環境にいう。――と広辞苑(第七版)にあります。おっしゃる通り。蛇足ながらワタクシ的な感覚では、環境はどちらかと言えば無機質であり、風土は有機的に響きます。なんといっても「風の香り、土の匂い」なのですから。
和辻哲郎『風土』が環境決定論として批判されて久しいのですが、決定論までのことはなくとも、その土地の自然条件は人間を羇絆(きはん)します。羇絆とは絆で繋ぐことです。気質や文化とは個体としての人間だけでなく、人間集団にも大きな影響を及ぼすことになります。

みなさんは自然という言葉でどんなものを連想されますか? 豊かな緑、棚田に映る田毎の月、山寺の紅葉、列島を駆け上るサクラの開花前線。そうした美しい景色、懐かしい光景ではないでしょうか。美容を生業(なりわい)として30年近い私なんかは「自然の賜である天然成分はからだに優しい」という美容都市伝説を思い浮かべたりします。
ここで自然と天然について考えてみましょう。棚田やサクラにコスメ成分、これらは本当に「自然」「天然」といっていいものなのでしょうか。棚田は山里の農家の人たちが、何世代もの手間暇をかけて営々と築き上げた農業土木の結晶です。サクラは人間の手によって植えられ育成されたもの。原生林としての桜の園は存在しません。コスメ成分は人が製品としてつくった中にありあます。
人の手の入ったものが果たして自然や天然でしょうか? 日本人にとっての自然は人にとってよいものであり癒されるもの、または故郷のようなものなのでしょう。お産がどんなに辛くても「自然分娩こそ吾子のため」()と思って、お母さんたちががんばっているのですもの。

他の先進諸国ことに欧米諸国における自然は、概して緯度の高い場所であることもあって、日本人のイメージするものとは様相が違います。陽の光も届かぬ森林地帯とか斧鉞(ふえつ)の入ったことのない人跡稀な荒野です。自然とは野性あるいはワイルド。粗野で荒々しく、猛々しく人間を峻拒するイメージです。ロックオンされたら最期、癒しどころか命を奪われる恐ろしいものとなります。
日本だって台風・洪水・地震などの天変地異が襲いかかりますが、モンスーン気候帯での天災のほとんどは一過性のものです。モンスーンは季節風ですが、アジアモンスーンは温暖多雨にして季節の循環は規則的、その結果農作物の収穫は豊饒を約束されていると言っても間違いありません。作物は麦ではなく米です。連作の効く米は麦の10倍以上の生産性をもち、さらに米のおいしさは麦の比ではありません。気候は保存食の必要を認めず、人口を養うだけであれば産業革命の意義すら認められない楽園といってよかったのです。
ヨーロッパは地中海沿岸を除けば冷涼であり、地味は痩せ、麦やぶどうくらいしか作物はなく、牧畜は季節の変化に右往左往して人心を安定させませんでした。もし、近代産業社会を主導した栄誉をヨーロッパに与えるならば、住んでいた人間が賢かったと言うより、欠乏の恐怖をもって人々を急き立てた風土こそが影の主人公であると言ったほうが正解に近いでしょう。

ヨーロッパの宗教迫害から新世界に逃れたアメリカの場合、状況はさらに苛烈でした。王権と教権からの自由を求めて旧大陸から脱出した結果は、権力からの庇護を拒否する孤独な戦いと、手つかずの荒々しい自然を開拓するしかない窮迫に直面したのです。
ヨーロッパにあった血縁あるいは地縁の共同体はすでになく、家族のみで戦うしかありません。自然もなにもすべてが歯を剥いて襲ってきます。彼らは昔からの住民ネイティブ・アメリカンをも、開拓に敵対する存在として(自然の一部として)征服の対象としました。フロンティアとは境界のことです。フロンティア・スピリットとは土地の略取を合理化する野蛮な精神のことです。それは今なおハリウッド映画において、敵を殲滅する場面の無慈悲さとして引き継がれています。アメリカにおけるスーパー・ヒーローは、肉体的な力を誇示できる男しかありえなかったのは当然と言えます。
モンスーンの日本では、豊潤の風土で米という打ち出の小槌を手にした人々が、農耕社会という強固な村落共同体を形成しました。稲作は異常に米作りに熱心な大和朝廷支配の広がりとともに、少々の気候に無理があっても強制されて、社会の意識を強固に羇伴する中心軸となっていきました。共同体の協調性というより上意下達が徹底され、組織への忠誠がなによりも優先する社会となって現代に至っています。個人は集団の中に埋没し同調圧力は強固です。
個人ではなく共同体でつるむのは村単位の全体主義で、本質的には狭隘なものでした。農作業、水利や災害への対応などへの協働は、次第に冠婚葬祭などの私的領域をも共同体の協力なしには行えないようになりました。近代国家になってからも家族主義国家の美名でまとめ上げられ、異議を唱えられない社会が形成されたことを忘れてはいけません。

アメリカは国家から独立した個人が戦う社会だと述べました。日本とは原理原則が真逆です。勝利も敗北も孤立無援の中で戦い取らなければなりません。心情的にでも頼れるのはファミリーのみです。この感性は少なくとも日本の風土からは生まれ得ぬものといえます。男性のマッチョこそ好しとする社会でもあります。アメリカの女性はそうした中で独り戦っているのです。
その壮絶さを「理解できる」と言うのは不遜なのかもしれません。