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過ぎし時に(2)(2009.4.3)
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オルゴールの小箱の中にしまわれた、懐かしい香りのするセピア色した夢や憧れのかけらたち。
春の香り 京都――さかりの春の短さよ
日本でのパリの姉妹都市(*1)は京都です。
京の春も匂いたちます。きのうの夜のおしろいの残り香、けだるい甘さ、湿り気を帯びた酸っぱさ。朝の京都ならではの香りです。花の暦は梅から木蓮、桃そして菜の花と桜に移り、躑躅と藤になって初夏を迎えます。京爛漫といえばやはり桜、町も山もすべてが雅に染まって、都をどり(*2)のポスターさえ艶っぽく、伽羅(*3)の香がむせるように漂ってくるのです。
霞の京は桜の下、二人で見る西山の入り日がいいのです。
夕まぐれといえば逢魔が時(*4)という妖しい言葉もありましたね。薄暗い光の中で、彼の広い肩幅を後ろから眺めて、
「今夜私をどんなふうにさらってくれるのかしら」と、胸ときめきます。
そんなとき、肩先に花片がひらひらと舞い落ちてきたら、からだの底が熱くなってしまいます。
そんな一夜が明けて朝霧がまだ晴れていない時分、ひとりで歩く吉田山荘(*5)あたりの神楽ヶ岡(*6)の麓。真如堂(*7)、黒谷の金戒光明寺(*8)、谷のような地形の底から見上げれば空はいっぱいの桜。岡を登ったいただきには塔の下に会津墓地。
幕末に京洛の地で散った若者たちが眠っています。
散華は若さの非業の死にこそ似合うのでしょう。
そういえば「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」といったのは梶井基次郎(*9)。学生時代に彼が見た京の桜は、いま私の眼前そのものです。それこそ都の春爛漫。
もどった旅館で、昼までに東京に帰る彼が、ワイシャツを裸の躯に羽織りながら言いました。
「春の香りだね。。。」
あのときから旬日もたたず、京の季節はもう惜春望夏。。。
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* 注*
(1)姉妹都市:正しくはパリとの間は「友情盟約都市」で1958年に盟約された。モニュメントの交換は石灯籠を贈り、ガス灯とヴァラス噴泉及び京都広場銘板を受け入れている。他に姉妹都市としてケルン(ドイツ)・プラハ(チェコ)・キエフ(ウクライナ)・西安(中国)・フィレンツェ(イタリア)・ザグレブ(クロアチア)・ボストン(アメリカ)などがある。
(2)都をどり:毎年4月1日から30日まで祇園花見小路の祇園甲部歌舞練場で行われる、祇園甲部歌舞会の舞いと踊りの公演。1872年が第1回で途中戦争による中断をはさみ今年(2009)は第137回となる。
たかが1時間の見物に茶席付特等が4500円と思うなかれ。これだけの芸妓舞妓を拝見できるなら安すぎると思う人だけのための華やぎなのである。都をどりの間に京都は一気に爛漫となる。
(3)伽羅(きゃら):沈丁花科の木にバクテリアが作用して樹脂となった香木で、水に沈むので沈香と呼ばれ年代を経た最良のものを伽羅という。「やさしく位ありて苦味をたつるを上品とし、たをやかにして辛味酸味あり、苦をたち優美なること宮人のごとし」と。後宮と遊里に伽羅はふさわしい。とくに昼下がりの行きずりにこそ。
(4)逢魔が時(おうまがとき):辞書には「大禍時の転、禍が起こる時刻の意。夕方の薄暗い時刻、たそがれ」とある。たそがれが誰そ彼であるように、漆黒の闇よりもトワイライトタイムのほうが事件も事故も起こりやすい。人さらい(kidnapper)の出没もこのころである。もっとも彼がさらうのは子どもだけではないだろう。
(5)吉田山荘:左京区吉田山の東中腹にある旧東伏見宮別邸の料理旅館。建物は1932年にできた。食事のみや散歩の途中の喫茶もできる。もちろん安くはない。
(6)神楽ヶ岡:吉田山の東南にある真如堂のある岡。この日陰の谷間に多くの学生下宿があった。三高逍遙歌「紅萌ゆる」8番には、“神楽ヶ岡の初時雨 老樹の梢伝ふ時 檠燈(けいとう)かかげ口誦む 先哲至理の教にも”とある。
(7)真如堂:正式名称は鈴声山真正極楽寺(れいしょうざんしんしょうごくらくじ)といい真如堂はその本堂を指す。天台宗の寺で比叡山常行堂の慈覚大師作本尊阿弥陀如来を、984年東三条女院の離宮である現地に移したのが始まり。比叡山の修行僧のためではなく、すべての人々ことに女性を救うことを願われたからと言われる。秋の紅葉の名所だが春の花もいい。
(8)黒谷金戒光明寺:浄土宗紫雲山黒谷金戒光明寺。1175年法然上人が比叡山を下りて最初に草庵を結んだ地であり、浄土宗最初の寺院である。徳川家康は浄土宗大本山知恩院と当寺を城郭造りとして、西の二条城とともに朝廷への警護威圧の備えとし、現に幕末には京都守護職会津藩一千人が駐屯した。墓地は西方浄土を向き彼岸時には日の入りに正対する。桜花境内に満つる。
(9)梶井基次郎:小説家(1901〜1932)。三高を経て東大英文科、肺結核で死去31歳。代表作として『檸檬』『城のある町にて』など。桜の樹の下には。。。のフレーズは『檸檬』の中の『櫻の樹の下には』という作品にある。夭折した青春にみられる鋭利な感受性と詩的文体には倦怠と絶望と苦悩が凝縮されてある。
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