☆御利益ありますように☆
美と官能というより豊饒の女神といった感じのトルコにあるアフロディーテ像とのツーショット。
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恋愛、恋と愛からなる言葉。これは「恋and愛」の直列なのかしら? それとも「恋or愛」の並列? 恋も愛も英語では同じlove、フランス語ではamourですが、日本語では恋と愛とでは雰囲気が違います。フランス流と日本流の恋愛感の違いは案外こんなところにタネがあるのかもしれませんね。
短絡的に考えると、複数を対象にできるのが愛、対象が一人が恋、救いがあり時に慈悲的宗教的であるのが愛、エゴイスティックで狂おしく時に快楽的でもあるのが恋、救われるのが愛、落ちるのが恋。ん? 本当かしら
恋と愛の燃えあがる夏が過ぎ、しっとりと思慮深くなる秋に、どちらがどうなのか私なりに考えてみました。
字義、文字の意味から考えてみます。
恋、いや正確には戀。高校のころのジュモン「いとしいとしと言う心」の記憶ありませんか? この字を分解すれば絲+言+心です。絲はもつれた糸、言はけじめをつけること。もつれた糸をスッキリさせようとしてもできない様子が戀の冠の部分です。これが心の上にのっかると「心がさまざまに乱れて思い切りがつかず思いわびる状態」となります。
一方、愛という文字は心+夂(足をひきずって歩く)+旡(人間が胸をつまらせて後ろにのけぞってしまう)からなっています。「心がせつなく胸つまって足がもつれて前に進まない様子」を表します。そこから、「惜しむ」「いとおしむ」「めでる」の意味となり、その後明治になってから、キリスト教の「神が人々を救う恵みの心」をも愛という訳語をあてることとなったそうです。
文字の意味としては愛こそ「いとしいとしと言う心」なのです。恋は、「断ち切ろうとしても断ち切れない、もつれにもつれた心の状態」のことでしたから、そんなになったら「心がせつなくなって胸つまり、足がもつれて前に進めない状態」(それを人は愛という)に陥るようになるのは必然かもしれません。
ところで恋(こい)は訓よみ、愛(あい)は音よみですね。ここまでは漢字の意味から考えてきましたが、やまとことばではどうなるでしょう?
「こひ」の基本形は「こふ」です。つまり「乞う」や「請う」ですから(欲しいものをくださいと)「お願いする」とか「頼む」ことです。恋うるとは相手を欲しいと思う心、また自分のものになってほしいと懇願することなのだと思います。
愛の訓は「いとおしむ・おしむ」もありますが「めでる」がもともとのようです。めでるの古語は「めずる」、堤中納言物語にありました『虫愛ずる姫君』とかなつかしい思い出です。(私は虫愛ずる姫だったのですが右馬佐の君が現れなかったのが残念だわ!)。めずるは「好きでたまらなく思う」こと、そんなに好きでたまらないものは滅多にあるものじゃないでしょうから「珍しい」が派生しました。かわいがる、好きでなぶるといった意味も「愛する」には含まれています。
ここまで考えると恋と愛の違いはずいぶんはっきりしてきました。位置関係からいえば、恋の対象は自分と対等または上位に対しての思慕といった感情ですが、愛の場合は自分と対等もしくは下位にあるものへの保護し包み込む気持ちのようです。仰ぎ見て憧れるのが恋、やさしく大事にして守ってあげるのが愛といってもいいでしょう。
恋と愛のどっちが好ましいと思いますか? 恋する人からずっと愛されていたいと思うのは誰しもですが、二匹のウサギを追うことかもしれません。恋人と愛人のどちらになりたいと訊かれたら、恋人がいいと思う人が多いでしょう。ことばの意味を正確に知らなくとも世の中は直感でニュアンスがわかっているのですね。
ことばとして新しいのは愛です。恋は『万葉集』の以前からあったのですが、愛を今のような使い方にしたのは明治になってからです。さらに男女の間で「愛してる」ということばが使われだしたのは、戦後になってからとだというのです。「じゃあそれまでなんて言っていたの?」と尋ねたら、「惚れたとか好きやとかゆうてたんとちゃう」とそこらのオッサンが言うてました。私の語感としては恋がオシャレそうに思います。なにも新しいものがすべていいのじゃなさそうですわ。
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