◎修羅の行路
最後の事実経過は、修羅の行路です。死者を鞭うつのではなく、渡邊さんが菩薩でもありデーモンでもあったことを、私たち衆生にも目にすることのできた事実を記します。
それは、ものすごい吝嗇と餓鬼道でした。
“堕ちる”前は吝嗇も餓鬼道も顕れることはなかったでしょう。もともと潜在していたものが“堕ちる”ことで顕在したのか、それとも吝嗇も餓鬼道も“堕落”に付随することなのでしょうか?
金に汚く、ケチになりました。落ちているものはなんでも拾いまくる、もはや気取りもなにもない赤裸な世界です。お客が約束した金額を出し惜しみしたりすると、大声を出してののしったといいます。道で汚れたビールびんを拾って、酒屋に持ち込んで5円と交換します。こうした小銭はコンビニで、100円・1000円・5000円・10000円としつこく“逆両替”しました。
ところで、彼女は自分の価格を1回2万円としていましたが、外国人労働者には5000円、ときには2000円で売っていたことが手帳に記されています。それは貧しい男たちへの慈悲だったのでしょうか? それとも自らに課したノルマを果たすための、バーゲンにすぎなかったのでしょうか?
Shibuya 109 を過ぎて道玄坂を登った左に、セブンイレブン円山町店があります。渡邊さんは寒い季節、ここで“つゆだくのおでん”を買うのが常でした。おでんの入ったビニール袋を提げてホテルにも行きました。ビールの缶は3個求め、うち1つは必ず濃いビールで、最初にそれから飲んだそうです。こうしたビールを飲む癖(3個買って1つは濃く、最初に飲む)は亡き父の癖だったそうです。こんなところにも血はつながっているのです。父のことも東電も、最後まで誇りにしていたともいわれています。
彼女の夕食は、あと菓子パンだけです。これは、いつもというのではありません。ともかく栄養不足です。さすがに“労働”のあとはひもじくなったのか、終電の中で音を立てておでんの残り汁をすすり、パンをむさぼり食べる様子はすさまじかったそうです。井の頭線終電の“有名人”だったそうで、乗客たちに強い印象を与えています。
渡邊さんは円山町のラブホテルから、軒なみオミットされていました。一晩に何回も出入りする“商売女”だからというだけではありません。ベッドで小水を漏らし、部屋で脱糞するという狼藉をはたらくというのです。──なぜ? 性行為としてのSMかもしれませんが、ホテルがいやがるのは当然です。彼女は駐車場やアパートなどの階段下の暗がりでも“営業”しました。道ばたでしゃがみ込んで小便もしました。多くの人が目撃しています。
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