◎原因を考える意味
世間は「病気なのだ」と判断します。なにがなにやら分からなくなって困惑すれば、病気とするしかないのです。──病気? たとえば摂食障害がレポートされています。ガリガリだったのは栄養障害の結果である、と。
思春期から食は細いほうだったそうですが、最初の“病気”は父の死によってひきおこされたといわれています。父の死が大変なショックであったことは間違いありません。父と娘のひそやかな交流が突然断ち切られられたのですから。
父は山梨県の没落した機業家の家に生まれ、旧制東京高校から東京帝大第二工学部を卒業して東電に入社しました。日本の高度成長に伴って電力需要が急伸するなかで、超大容量の送電線を東京の地下に埋設するビッグプロジェクトを成功させ、会社の期待の星であったのです。
これに対して、母は名門のお嬢さんで職に就いたこともなく、きっと世間知らずだったのでしょう。それでも血筋はいい。となると、むしろ母の系統が父とその系統を、言葉には出さないけれど、軽んじるような雰囲気があったのではないかと思われるのです。
父はできのいい長女を溺愛し、次女は母の側につくといった家族関係は、さほど奇異なことではありません。父は「お母さんはなにも分かってくれない」と娘にこぼしたのかも知れません。父にとって、妻には理解できなくても賢い長女はきっと分かってくれる、ということの意味には重いものがあったのでしょう。娘は本当にかけがえのない存在だったと思われます。娘も父を誇りにしていました。高校時代に、「勉強で分からないところを訊くとちゃんと教えてくれる」と友人に自慢していたといいます。ここには濃密な父娘の愛情関係がありました。
普通とか一般とかいわれる、私たちのいい加減な家族関係の場合、いくら娘が「パパ大好きだよ」となついていても、本能がこの関係を切り裂いてしまいます。ある日娘は「パパは不潔よ」といいます。「パパのパンツと私のパンティを一緒に洗わないで!」。これが決別の日です。娘の“女”は姦淫できない“男”である父を用済みと判断して、生殖行為のできる男のもとに飛んでいくのです。冷静にいえば、中年の父より新陳代謝ムンムンの若い男のほうがくさいと決まっているのに、本能は五感もなにもおかしくさせてしまうのでしょう。
色に狂った娘が育ての恩もほっぽらかして出奔する。それで世の中はいいのです。巣立っていって、どっかの男とつがいになって、また自分たちも同じ目に遭うための営為を始めます。これでこそ種は保存されていくのです。
本能への目覚めが遅い娘にとって、父との愛情関係はファザコンと呼ばれます。若い頃にファザコンを抱えている女性は少なくありません。でもほとんどの人は、いつのまのにか脱却できています。あんまり好きでもない男であっても、結婚してセックスしていれば、恋愛ではなくとも性愛感情は湧いてくるものです。また、子どもができて育児に追われたりしている最中に、ふと見れば、父はもう颯爽とした紳士ではなく、そこらのジイさんになっていたということもあります。こうして、いつのまにか娘の気持ちは変質してしまうのです。
その前の段階で父に急死なんかされたら大変です。父という偶像を破壊できないままになります。渡邊さんがそうでした。彼女は東電入社の際に、「亡き父に恥ずかしくないようにがんばります」と言ったそうです。けれど“挫折”が彼女を襲います。それは私たちから見れば、とても挫折とは思えないことなのですが……。
それでもまだ、「だから彼女がそうなった」というのは早すぎます。
◎いくたびかの挫折によって
本当にそうであったかは分かりません。でも、人々は自らを納得させるために、渡邊さんの“挫折物語”をつくり、「そのたびに彼女は堕ちていったのだ」と思いこむ(あるいは、思いこみたい)のです。
最初が父の死であったとする。次は国家公務員上級職試験らしいという。これは確証のない話です。「どうやら」という形容詞がつきます。
父の死からもたらされた摂食障害を完治できたわけではなかったのですが、渡邊さんは理論経済学の勉強に沈潜していきました。ゼミでも優等生でありました。そうなると、なぜ大学院から研究者といったコースを選ばなかったのでしょうか?
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