Dr.MANAの南仏通信〜フランスのエスプリをご一緒に…〜
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ワンダーウーマン考 その6―寄稿辞退に到る経緯(2018.5.2)

























前回掲載したのは、私が最後に東洋経済オンラインに送った『ワンダーウーマン』の映画評論原稿です(詳細→)。いろんなご意見をいただきました。本当にありがとうございます。
今回はその原稿の掲載が拒否されたことの経緯――私がその理由について(感情的な反発といった個人的事情ではなく)社会的正義への挑戦ではないかと思った経緯を、事実そのままに公開して皆様のご批判を仰ぎたいと存じます。個人情報について匿名にしていることはご了承ください。

東洋経済デジタルには、知り合いの出版関係者のご紹介で、2年前の春から定期的に寄稿することになりました。インターバルは2週間ごとで題材は生涯現役&フランスネタ等、この間なんとか落とさずに、なんとか寄稿を継続することができました。担当編集者が交代されたのは昨年秋、それから破綻はすぐでした。相性が合わなかったという言い方もあるでしょうが、私はもっと(メディアと表現の自由といった)大きな問題の影を感じました。

昨秋最後の原稿を送った際に、担当編集担当者への送り状メール。
    先日フランスで映画のプロデューザーをしている友人と話していて、ワンダーウーマンはフランスでもアメリカ同様に大変高い評価を受けていることを知りました。この映画は今年の「世界流行語大賞」ものの映画と思われますので、メディアに発言する者としても意味のあることと考えました。
    まずは原稿をご覧いただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。


それに対する編集者の返信。
    こちらを掲載するのはちょっと厳しそうです。理由は以下です。
    まず、東洋経済オンラインは日本在住の読者です。日本でまったく話題になっていない映画について、しかも8月に公開した映画について、11月に掲載は難しいです。
    「皮膚科専門医」が映画を論じるのは読者に説得力を与えることができません。(なぜこの人が映画を語るの?という疑問が起きます) 
    「世界流行語大賞」は知りませんでした。ネットで検索しても出てこなかったので、日本では知られていないかもです。
    せっかく書いて頂いたのに申し訳ありません!!
    映画をきっかけとしてなにかパリでムーブメントが起きていて、それが日本人から見てめちゃめちゃおもしろい……とかなら別ですが。
    一応「経済ニュースサイト」ですので、ご理解くださいませ。


映画『ワンダーウーマン』の日本公開は、全米全世界(=日本を除く先進諸国)での同時封切から3か月後という遅すぎる公開でした。それは乃木坂46の日本だけのテーマを作成したことなども関係したでしょうし、そもそも映画の“戦う女性”と乃木坂46の“清楚な女の子”では、まるでシンクロするものがありません。
まさに戦略的錯誤でした。プロモーションの失敗もあって、日本では予想がズッコケてブレークしませんでした。日本での映画の配給元のイメージした日本女性はどんなものだったのか、腹立たしい思いがします。
私に“だからこそ”の思いでした。日本の女性はおとなしく、悪に抗いもせず、力の前に屈服するだけでいいわけありません。良い悪いではなく、個人が行動するバックである、世界の思想潮流の潮目が変わろうとしています。それを伝えたかったのです。それこそ“世界流行語大賞”レベルの話題性ではあったのです。世界流行語大賞なんてありません、年末近く日本では「今年の大賞はなんだろう?」の話で盛り上がりますよね。
それから、善意で仲介しようとなさった以前の担当さんとの慰留とかありまして、お世話になった方に迷惑をかけたくなかったので、編集長に担当者の変更をお願いしました。

編集長へのメイルは以下です。
    先月に○○さんに担当替えとなってから4度目の原稿となりますが、ボツ原稿にされたのが今回で2度目となります。
 表現の個性や内心の自由を否定された感じが致しました。このままでは担当の方の趣味に合わせるというか、言われたままを表現していくことになります。今後一緒にやっていくのは難しいな、と判断いたしました。
 編集担当を変えていただくことはできますでしょうか?
 詳細については、これまでのやり取りのメイルを、そちらでチェックしていただければお分かりになるかと思います。また、なぜここまでお時間がかかったのかもご理解できると思います。
 お忙しいところ誠に恐れ入りますが、何卒よろしくお願いいたします。


編集長からのお返事が以下です。
返信が遅くなり失礼しました。過去のやり取りについては確認させていただきました。
 ○○はたいへん優秀な編集者です。申し訳ありませんが、編集者を交代せよ、との提案は受け兼ねます。今一度、○○とやり取りをして今後の方針について相互に納得をしていただくことは可能でしょうか。
 まずは、この点についてご検討のほどお願い申し上げます。


私は「ではそうしようか」と思ったのですが、どうしても気になることがあったので追伸のメイルを送りました。
度々すいません。先立ちまして一つお尋ねしたいことがございます。
    今回のワンダーウーマンの記事は(修正を加えてもどうしようもないレベルで)問題であるのか、そうでしたらどの部分か、編集長様としてのご意見を教えていただけると幸いです。
    今後のネタ探しや原稿を書いていく上での判断基準としてご参考にしたく思います。
    お忙しいところ誠に恐れ入りますが、何卒よろしくお願いします。


私の原稿は、そもそも“皮膚科専門医”から逸脱した分野を、“日本人に知られていないフランス絡みのこと”を中心に書いてきましたから、○○さんの基準で考えれば今後ともNGになる確率は高くなるに決まっています。
編集長からは連絡がないまま20日近くすぎました。それがお返事(要するに基準も担当者一任である)と捉え、「検閲」基準がわからなければ今後原稿は書けませんので、自分の考えで連載寄稿者を辞任することにしました。
すると編集長から、追加メールについては見落としていたことと、返信を差し上げなかったことへのお詫びが届きました。

これがざっくりとした経過です。皆様、どう思われたでしょうか。
いろんなことが浮かびますが、もう少し考えを落ち着かせてから、この間の取りまとめをご報告することにしたいと思っています。
皆様からのご批判ご意見をお待ちしております。

*初夏の風に吹かれて本を読んでいて、今の私の気持ちにフィットする文章に遭遇しましたので、以下に引用して今日はここで終わります。
――戦争の終りに、『ルーヴル』紙が連日の寄稿を私に求めた。その報酬は十分だった。しかし第一回の記事の中に、私は偶然とは思えない削除を発見した。かれらは決してそれを否定しなかった。私は議論するのを拒絶して御免を蒙った。私は、束縛を拒むこの乱暴なやり口を模倣することを勧めない。ただ私は、今日でも自分が同様に行うであろうということを指摘する。かつ私は、編集者が、私の原稿を採用するに先立ってそれを審査することを決して許容しなかった。読者はこの激しい自由を認識しなければならぬ。何となれば、私の見るところ、[それは]方法の一項目であり、文体の一要素であるから。
     (アラン『語録』;森有正訳「わが思索のあと」中公文庫)