Dr.MANAの南仏通信〜フランスのエスプリをご一緒に…〜
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ワンダーウーマン考 その1―どうしてアメリカの女性たちは戦闘場面で涙したのか?(2018.1.5)



















前回、プロローグに登場した()、アメリカ中でワンダーウーマンの戦闘シーンに涙した多くの女性たち。私はヒーローダイアナが戦う姿が美しく、凛々しく、格好いいと思いました。でも、泣くまでのことはありませんでした。「いけ! いけ! ぶっとばせ!」のテストステロン大放出、痛快ではあっても涙腺が崩壊するような感激まで達するのは、とても無理だったのです。
どうしたことなのでしょう? 号泣するまでの感情の昂ぶりは、登場人物のあまりのも深い悲しみに心を痛めるか、多くの障害を乗り越えて到達した幸福に安堵するなどの共感の爆発です。けれどワンダーウーマンはいずれでもありません。何がアメリカの女性たちをして号泣に至らしめたのか、本当に知りたいと思いました。

アメリカから開国を迫られて以来――戦争に負けてからはなお一層、日本人にとってアメリカはアンビバレントな国でした。愛憎の憎のほうはさておき、少なくとも相対的には世界でもっとも豊かな国・自由の国・夢をかなえてくれる国であるイメージは定着しています。まさにアメリカン・ドリームです。ハリウッド映画は夢と現実を混乱させます。『SEX and the CITY』は女性にとって居心地のいい国の幻想をふりまきました。
調べてみるととんでもない。健康保険がないのはわかっていましたが、出産や育児に際しての有給休暇もないのです。“自由”とは機会均等であり、その上での競争の自由のことです。ルールのある殴り合いの自由といいっていい、人種性別身分門地など生来の条件によって競争の公正が害されてはいけないのです。

1651年ピューリタン革命直後の王政復古に際して、トマス・ホッブスは『リヴァイアサン』で――人間の自然状態は「万人の万人に対する闘争」だから、その混乱状況を避けるために「人間のもつ天賦の自然権を国家に譲渡すべきである」――と、社会契約による絶対王政擁護論を説きました。国家に自然権を委ねることの反対給付は国家による保護育成となります。
それより前の1620年に王政からの迫害を逃れ、新世界に自由を求めて移住したピューリタンたちをピルグリム・ファーザーズといいます。アメリカン・スピリッツは国家の干渉を排除した個人の独立から始まったのです。保護と干渉は同じものです。「健康保険制度ができたらアメリカも終わりだ」という国民も多いのです。ましてや女性だからのハンデなんか許してくれません。

アメリカは生存競争で勝利しなければ誰も相手にしてくれません。勝利するとは“成功する”ことです。成功したことは簡単に分かります。スキャンダルを売り物にするメディアへの登場もそうですし、たとえばexclusiveなカントリークラブとかの誰もが羨む団体の構成員になることです。アメリカでは運転免許証よりクレジットカードが身分証明となるというのは本当です。階層ごとの横断的団体が決まっていますので、自分の所属団体がアイデンティティの表明となるのです。引きこもりの変人は居場所がありません。これも考えてみれば大変なことです。

前回紹介したLAタイムズ記事は、新聞記者などのキャリア女性たちの日常がいかに過酷な戦いの連続であるかを如実に表しています。彼女たちは日々孤立無援で男性と同等に――まだ世間は男性社会だ――否、彼らの何層倍もの努力を注いで“戦闘”しているのでしょう。
それだけならまだしも、『ワンダーウーマン』をきっかけとして#MeTooによる過去からのセクハラ告発がアメリカ中を揺るがしています。女性は出産育児による社会からの一時的退避だけでなく、学問技能の修業過程から仕事を遂行する間において直接暴力でなくとも性的な圧迫を受けてきています。
セクシャルハラスメントは稀なことではありません、私の経験からいっても“しょっちゅう”のほうが近いのです。免れるために(よほどのことがない限り)権力を使うことはスピリッツのタブーです。相手に阿ったり、他の男性に頼るのはさらに事態を悪化させます。映画を観ていた女性たちには、そうした過去が脳裏を行き交ったのでしょう。

「そうだ、戦えばよかったのだ!」
目からウロコがストンと落ちて、涙腺が崩壊しました。声にならない喚き声がカラダの奥から湧き上がって、静かに嗚咽しました。
アメリカの女性たちは、もうベッドの中でひとり泣いたりはしないようになるのでしょう。日本の女性たちは、それでも「セクハラなんてめったにない」とでも思っているのでしょうか。
問題は戦い方です。どうやって戦っていけばいいのでしょう。その方法も映画に示されています。それは次の機会にお話しします。